SCENERY

その壁がなくなれば、世界がもっと広がります 

2010.03.13[土] 自慢の沖縄(2)

酔っぱらうというほどでもないけれど、ほんの少しだけ良い気分に
なって、次の行き先は「紅型」の工房。

この建物は、岐阜県の木曽から古民家を移築させたものらしい。
なるほど、天井が高く、通常は横に長く広げる布も、ここならば
天井から吊して縦長に広げて乾かし、展示することができる。
沖縄ではこういう造りの建物はあまりないらしく、Tさん曰く
なかな珍しい光景なのだと言うこと。

紅型

色とりどりの布がキレイ。

それぞれの場所で私が興味を示すと、Tさんが本当に嬉しそうに
しています。
きっと、どれもこれも沖縄の自慢の伝統工芸なんですよね。


そしていよいよ絶対に行きたいとお願いがしてあった首里城へと移動。
ここでスペシャルガイドのNさんと合流。

まずは守礼門。
扁額には「守禮之邦(しゅれいのくに)」と書かれています。

守礼門01

とにかく驚いたのは、私の知っている「守礼門」は、本当に門だけ
だったのに、現在ではその後ろに恐ろしく立派なお城というか
記念公園が出来ていたこと。
Nさんにその話をしたら「ハイ、以前は札幌の時計台か沖縄の
守礼門か、と言われるくらいでしたから。」と笑って答えて
くれました。
(つまり期待度と実物を見てのギャップが大きいということ)

入り口のところには『琉球王国のグスク及び関連遺産群』と
ユネスコのマーク付きで世界遺産であることが示されていました。
ベトナムのフエでも思ったのだけど、「関連遺産群」というのが
難しい。どれが世界遺産でどれが世界遺産でないのかは、歴史に
詳しくないと、なかなか‥、ね。

どこのお城でも(ちなみにグスク=城という意味だそうです)
同じだと思うのですが、核心部に到着するまでには、長い道のりが
あります。

ここは瑞泉門。

瑞泉門01

門の手前の湧水が「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれ、それにちなんで
瑞泉門と名付けられたそうです。
当時は皇帝、皇后とそれぞれ使用する水が異なっていたとこのこと。


湧水01

湧水というのは石段を何段か降りたところにあります。
小川先生のおっしゃっておられた、京都の「降り井戸」のような
ものなのでしょうか?
水がどこから来ているのかは不明。


首里城の正殿は現在、改修工事中だったため、画像はありません。
悲しいことに、これらの建物は全て戦争で消失してしまい、
建物や内部の装飾品などは、ほとんどすべて復元された物
だということでした。
もしそれがそのまま現存されていたら‥と思うと残念で
なりません。

首里城についての詳細は、wiki先生でご確認を。


首里城には、外観だけでなく琉球王国が貿易国として栄え、中国
の影響を受けていたと思われる名残がいくつかありました。

例えば、扁額。

資料によると
『かつて、首里城正殿二階(大庫理:うふぐい)には皇帝から
贈られた書を扁額に仕立てて九枚掛けていました。皇帝が即位
したお祝いや、古希のお祝いの時などに自ら認めた書を琉球に
贈っていたのです。<ここまで引用>』

ここで言う皇帝とは中国、時代で言えば清の皇帝から琉球の王に
贈られた物だということです。
平成の時代になってから、中国紫禁城内で古文書などの調査を行い、
見事に3枚の扁額が蘇ったのだそうです。

「中山世土(ちゅうざんせいど)」 第4代皇帝 康煕帝
「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」 第5代皇帝 雍正帝
「永祚瀛壖(えいそえいぜん)」 第6代皇帝 乾隆帝

なんと中国茶を勉強したことのある方にはお馴染みの、康煕帝、
雍正帝、乾隆帝のお三方。
こんな所に中国茶との接点が‥。


最後に、瑞泉門をくぐったところにあった日時計。

首里城の日時計

ロ・ヴーのカウンターの後ろにある日時計とほぼ同じ形。
時空を越えて、日本と中国とのつながりを感じたことは
言うまでもありません。

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