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その壁がなくなれば、世界がもっと広がります 

2009.08.18[火] ミスター・サイゴン

ミス・サイゴン

夜、マジェスティック・ホテルにある、あこがれのブリーズ・バー
で「ミス・サイゴン」を注文。
ライムジュースと後、他には何が入っていたかすっかり忘れて
しまった。(笑)
お酒のことはサッパリ。(^ ^;

ミス・サイゴンを飲みながら、「サイゴン解放(陥落)」の頃について
ぼんやりと考えていた。

近藤紘一によると、マジェスティック・ホテルの6階のレストラン
(多分ここのこと)もベトナム戦争時に爆撃されたとのこと。
今では想像もつかないが、タンソンニャット空港方面の空が
爆撃で赤く燃えている様子がここから見えたそうだ。



サイゴン川の夜景

夜のサイゴン川は、華やかさはないもののやさしくて美しい。

バーの壁には、カトリーヌ・ドヌーブなどの著名人に並んで
開高健の写真が飾ってあった。


開高健

なぜ、開高健の写真が‥?

今回の旅でご一緒したI先生が「僕は、ヘミングウェイと
開高健がとても好きでね」と言っておられたのが印象深い。


ベトナム戦争の最中、サンケイ新聞の特派員としてサイゴンにいた
近藤紘一と、朝日新聞の特派員としてやはり同じようにサイゴンに
いた開高健。
この二人は同じ時期、同じようにサイゴンという街で過ごした。
同じようにサイゴンにいながらも、別々のサイゴンを見ていた。
そんな印象を強く受けた二人の作品。

近藤紘一はその著書の中で、ベトナム人のしたたかさ、おおらかさ
そして生命力の強さというものを生き生きと描いている。
開高健は、ベトナム戦争の陰鬱で、よりシビアな部分を、よりリアルに
描いているように思った。
多分、開高健がベトナム戦争に従軍したことも理由の一つなの
かもしれない。


今は地図にない街、サイゴン。
1975年のサイゴン陥落(解放)から34年。
日本とは比べようがないが、例えば今のベトナムは、日本の
1979年頃にあたいするのだろうか。
この国はこれからどこへ行こうとしているのだろう、などと余計な
心配などしたりして。

それから、ヘミングウェイについて。
I先生は「男としての生き方というかあり方に、一種のあこがれの
ようなものを抱く」とおっしゃっていた。
「開高健は日本のヘミングウェイになりたかったんだよ」とも。
彼は、ファンの間で「日本のヘミングウェイ」と言われているようだ。


「ああ」とようやく、今回の旅の理由がわかった。
ヘミングウェイの代表作「老人と海」の主人公サンチャゴ。
彼は、キューバの孤独の海でたった一人、巨大なカジキマグロと闘う。

そうなのだ。
強い意志と決心。

美味しくて安全なお茶を作りたいという情熱の持ち主T会長は、
まさにベトナムという孤独の海で、たった一人闘いを挑んだ日本の
サンチャゴなのだ。
そして私たちは、その日本のサンチャゴに会うべく、遠路はるばる
ここベトナムまでやって来たのだということに、ようやく気が付いた。

オペラ「ミス・サイゴン」は悲しい結末になってしまうけれど、
日本の「ミスター・サイゴン」は、10年以上の歳月をかけて、ついに
奇跡の烏龍茶という美しい花を咲かせることができたようだ。



サイゴンの夜明け

サイゴン川の向こうに見える朝日。

この街には、朝日が似合う。
今日という日が始まる希望の光だ。

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