SCENERY

その壁がなくなれば、世界がもっと広がります 

2009.06.06[土] 夢に見た楽園

ほぼ1ヶ月前のこと。
忙しいと言いながらもゴールデンウィークが終わるやいなや、
ずっと楽しみにしていたゴーギャン展を見るために、いそいそと
名古屋ボストン美術館に出かけた。
お目当てはもちろん、日本初公開の作品
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』。
過去にたった2回、しかもパリに貸し出されただけで、後は門外不出の
ボストン美術館のお宝作品だということだ。

何の偶然か、昨年の夏頃から冬にかけて読んでいた本のカバーの
帯に、この作品が使われていた。
本を読みながらずっと「この絵の本物が見てみたいな」と
思っていただけに、やっと思いが通じた?(笑)

一連の作品の展示は、印象派としてスタートしたゴーギャンの
初期の頃の作品『オスニー村の入口』などから始まり、ゴッホとの
出会いで大きく作風が変わっていく様子などが、素人でもよくわかる
ように時系列にきちんと整理されている。

ゴーギャンは、あこがれの楽園タヒチで、この傑作『我々は
どこから来たのか‥』を仕上げた。
見る人によって様々な印象を受けるであろうその作品は、深い碧と
乾いた土を思わせるような黄色い肌の鮮やかな色のコントラスト、
光と闇、そして言葉などでは言い表せない何か、がそこにあった。


ある人に言わせれば、ボーヴォワールの「女に生まれるのはない、
女になるのだ」という言葉になぞり「ゴーギャンはゴーギャンに
なったのだ」ということだった。

また、ある人は「こんな事を言ってよいかどうかと思うけど」と
いう枕詞つきで「我々はどこかに行くのではない、自分になるのだ」
と言った。
「我々は何者でもなく、どこかに行くものでもない、ただ自分になる
ための旅を続けるのだ」という力強い言葉だった。
「どこへもいかない、自分になる」なんだかとても良い響き。

この『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ
行くのか』の後、ゴーギャンの最晩年の作品『女性と白馬』は、
それまでの作品とは打って変わり、とても温かで心安らぐ穏やかな
印象。
もしかしたら、ゴーギャンがゴーギャンになったとき、夢に見た
楽園にやっと辿りついたのかもしれない、などとふと思った。
そう、楽園はどこかにあるのではなく、心の中にこそあるのかも
しれない。

名古屋ボストン美術館のゴーギャン展は6月21日まで。
自分になるための旅の途中、お出かけになってはいかがでしょう。
未来の自分が見えてくるかもしれません。

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