美味しくお茶を入れるということ
今日(昨日の29日)は、ホテル グランコート名古屋での中国茶セミナーの日だった。
資格取得のクラスとは異なり、中国茶とホテルのランチを美味しく楽しもうという趣旨のセミナーなので、わきあいあいと過ごす3時間だ。お店の講座や文化センターの講座とは、またひと味違う魅力がある。
ところで、中国茶の初級者はもちろん、ずいぶん長く勉強をして頂いている方からも「お茶の入れ方が解らない。」というようなご質問を頂くことが多い。
これはあくまでも私個人の意見だが、『お茶の入れ方は一つではない』と思うのだ。
その人の体型、手の大きさ、全く同じ動作をしても、所作のスピードなど、一人一人全てが違う。
また、味の好みも千差万別。つまり、自分で自分の入れ方を見つければ良いのではないか?と考えるのである。
お茶の入れ方だけではない、おいしい料理にも、美しい音楽にも、感動的な芸術にも、そして、スポーツの結果にも、全ての事柄には理由がある。
生意気なようだが、「美味しいお茶を入れる」ためには、1)茶葉の本質を見極め、2)道具の特製を理解し、3)自分はどんな風にお茶を入れたいのかを考える必要がある、と思う。
どんなに高価なお茶も、素晴らしい道具も、そこに気持ちが入っていなければ、美味しいお茶は入らない。
ともすれば、形式やパフォーマンスだけにとらわれてしまう中国茶の世界ではあるが、本来の「工夫茶」の意味は「芸(藝)」ではないのだ。
『夏は涼しく、冬はあたたかに、茶は服のよきように』
とは、千利休の言葉だという。
「茶の極意をうけたまわりたい」との問いの答えがこれだそうだ。
当たり前のことのようだが、その実、当たり前のことをする事の難しさを説いている。
時代は変わって、北大路魯山人。
『平常はぞんざいにものごとを扱っている弊風があるのを、私はどうも面白く思わない。 <中略> いかにすべきかと工夫するのだ。工夫は細工ではない。工夫とは自然にもっとも接近することだ。』と自らの著書の中で述べている。
先人たちの言葉にも耳を傾けたい。
資格取得のクラスとは異なり、中国茶とホテルのランチを美味しく楽しもうという趣旨のセミナーなので、わきあいあいと過ごす3時間だ。お店の講座や文化センターの講座とは、またひと味違う魅力がある。
ところで、中国茶の初級者はもちろん、ずいぶん長く勉強をして頂いている方からも「お茶の入れ方が解らない。」というようなご質問を頂くことが多い。
これはあくまでも私個人の意見だが、『お茶の入れ方は一つではない』と思うのだ。
その人の体型、手の大きさ、全く同じ動作をしても、所作のスピードなど、一人一人全てが違う。
また、味の好みも千差万別。つまり、自分で自分の入れ方を見つければ良いのではないか?と考えるのである。
お茶の入れ方だけではない、おいしい料理にも、美しい音楽にも、感動的な芸術にも、そして、スポーツの結果にも、全ての事柄には理由がある。
生意気なようだが、「美味しいお茶を入れる」ためには、1)茶葉の本質を見極め、2)道具の特製を理解し、3)自分はどんな風にお茶を入れたいのかを考える必要がある、と思う。
どんなに高価なお茶も、素晴らしい道具も、そこに気持ちが入っていなければ、美味しいお茶は入らない。
ともすれば、形式やパフォーマンスだけにとらわれてしまう中国茶の世界ではあるが、本来の「工夫茶」の意味は「芸(藝)」ではないのだ。
『夏は涼しく、冬はあたたかに、茶は服のよきように』
とは、千利休の言葉だという。
「茶の極意をうけたまわりたい」との問いの答えがこれだそうだ。
当たり前のことのようだが、その実、当たり前のことをする事の難しさを説いている。
時代は変わって、北大路魯山人。
『平常はぞんざいにものごとを扱っている弊風があるのを、私はどうも面白く思わない。 <中略> いかにすべきかと工夫するのだ。工夫は細工ではない。工夫とは自然にもっとも接近することだ。』と自らの著書の中で述べている。
先人たちの言葉にも耳を傾けたい。
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