SCENERY

その壁がなくなれば、世界がもっと広がります 

2013.08.31[土] 揚輝荘と不等辺三角形(4)

揚輝荘
2010年11月北園にて。熱田神宮の信長塀を模して作られた塀。


内田康男と聞いて、最初はどんな小説?と思ったのですが、フリーの
ルポライター浅見光彦が次々と難事件を解決するシリーズの推理小説だったん
ですね。中村俊介さんや野際陽子さんが出演しているテレビの2時間ドラマなど
にもなっている、有名な小説家だったのに作家の名前を知らなかったとは…。
お恥ずかしい限りです。(汗


話を振り出しに戻すと『不等辺三角形』は、揚輝荘をモデルにした「陽奇荘」
を取り巻く人々でストーリーが展開される推理小説です。
村上春樹さんの「色彩を持たない…」との一番大きな違いは、舞台となって
いる場所が限りなく本物に近い、ということ。
物語を読み進めるに従い、現実と物語の境界線が解らなくなってしまうほどに。

氏が揚輝荘を取材された時、南園はまだ閉鎖されており、物語は北園を中心に
進められます。もし、南園がすでに開園されていたら…。
話の中に出てくる陽奇荘は、揚輝荘を知っている人間にとってはその光景が
目の前に広がり、自分が登場人物の一人になったような気さえします。

ここだけの話、小説を読み終えた後、事件の謎を解く鍵となる場所が本当に
あるのか知りたくて、探しに行ったのです。(笑)

ところが
揚輝荘のオープンは09:30。オープン時間を待ってから入園してじっくり
見ていると仕事に支障が…。
散歩程度なら大丈夫でも、事件を解決(小説では解決されていますが)する
場所を見つけるとなると、時間が足りない。(笑)

とりあえず関係のありそうな場所をパシャパシャと何枚か。
もちろん事件を解く鍵の確信には迫れず。(^^;


揚輝荘

豊彦稲荷。


揚輝荘

白雲橋の方面から見た煎茶席、三賞亭。



揚輝荘

そして事件の鍵を握る『伴華楼(ばんがろう)』。

少しだけ揚輝荘のおさらいです。
1)聴松閣は修復によって壁の色が白っぽい色からベンガラ壁と呼ばれる赤い壁に
  塗り替えられましたが、これは修復の際、上の壁をはつったら、下から褪色
  しているものの、赤い色をした壁が出てきたため、オリジナルであっただろう
  というベンガラ色に変更されました。

2)揚輝荘の名前の由来は、陶淵明の漢詩の一部から取ったと言われています。
  「春水満四澤、夏雲多奇峰、秋月揚明輝、冬嶺秀孤松」


今また小説を再読しながら、自分の中では未だ解決していない事件の鍵を
確認したくてウズウズ。

読んでから行くか、行ってから読むか。
皆さまも名探偵への仲間入り、いかがですか。

2013.08.30[金] 揚輝荘と不等辺三角形(3)

揚輝荘

聴松閣の1階から地下へ降りていくと、最初に目に付く地下トンネル。
戦時中は防空壕の役目を果たし、多くの人の命を救ったとも言われています。
ここから先は立入禁止。聴松閣のある南園と伴華楼のある北園を結ぶ通路
だと思うのですが、階段を下りることは許されず。残念無念。


揚輝荘

視線を移すと長年「ある」という話だけで見ることが許されなかった、アジア
からの留学生が描いた壁画が一面に広がります。
少し傷みがあるみたいだけど、これもいずれ修復するのかな。


揚輝荘

ライトでさえも芸術的。



揚輝荘

その奧には旧舞踏場と言われるホール。
小さな半円状の舞台と舞台用の照明もあります。
当時の緞帳はビロード式のインド模様だったそうですが、さすがに傷んでしまって
いるため、当時の白黒写真を元に研究者とメーカーとの協力で現在のような緞帳と
なったそうです。



揚輝荘

ヒマラヤのエッチングガラスが填め込まれた壁面。
インドを旅行した時の思い出の風景だとか。
ライトの映り込みがなければ、きれいなエッチングガラスをご覧頂けるのですが…。



揚輝荘

再び1階に戻り、これは昭和14年頃の揚輝荘のジオラマ。
近くてジオラマを見ていたオールドボーイが、はしゃいだ声で奥様と思われる
女性に説明をしていました。
「ここ、ここ。ここら辺で子どもの頃、よく遊んだんだよ。懐かしいなぁ。」

思わず心の中で
「オジサマ『こっそり忍び込んで』という修飾語が抜けています」と。(笑)
近所のオジサマに「子どもの頃によく揚輝荘に忍び込んで遊んだんだよ。そこを
次郎左衛門さんに見つかって怒られたもんだ」という話を聞いたことがあるのです。
だから「あらま、ここにも昔のワルガキが…」と。(笑)

揚輝荘はオールドボーイたちにとって、特別な場所だったのかもしれません。

2013.08.27[火] 揚輝荘と不等辺三角形(2)

揚輝荘

まずは昭和14年頃の揚輝荘の見取り図を。
現在はマンションなどが建てられている場所にはテニスコートなどがあった
ようです。道路の様子も今とは少し異なって見えます。
1万坪あったということですが、坪100万円として…、ああ、こんな下品な
ことを考えてはいけない…。(A^_^;


揚輝荘

そして現在の揚輝荘。
お店からどれくらい近いのかが解るよう、マークを入れてみました。(笑)
東西の並びには4軒の建物があります。(お店は揚輝荘側から3軒目)
季節の良い頃の揚輝荘は、お散歩コースにピッタリ。
お店から揚輝荘や日泰寺へは徒歩で2分くらいですが、どちらもそこから先に
時間がかかる。(笑)


今回、聴松閣を見学した際に初めて知ったことが一つ。
伊藤家は松坂屋(いとう呉服店)の創業者として名古屋では良く知られて
いますが、1881年(明治14年)に名古屋で最初の私立銀行、伊藤銀行を
設立されていたのでした。
「伊藤銀行?」と思ったのですが、これが以前は名古屋で最も勢力を持って
いた都市銀行「東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)」の前身だったのです。

思わず「ギョギョ!」今年なら「じぇじぇじぇ!」とでも言いましょうか。
名古屋人の「世帯に1つくらいは必ず」と言っていいほど、家族の誰かが
東海銀行の口座を持っていたというくらいの銀行です。


と前置きはこれくらいにして。


揚輝荘

聴松閣を入ってすぐに旧食堂。これからは喫茶室として使用するみたい。


揚輝荘

暖炉には古い瓦が埋め込んであったり。しかもこれらの瓦の出所って…。


揚輝荘

いとうの文字。この建物の中には階段や手すりなど至るところに「名栗」と
呼ばれる美しい表面のはつりが施してあります。
現在は美しい「名栗」のできる職人さんが減りつつあるとか。


揚輝荘

1階は他に旧居間や旧サンルームがあります。



揚輝荘

2階には応接室や寝室、書斎などがあったようですが、現在は全て
展示室になっています。

1階、2階と見たら、次はお楽しみの地下へ。


To be continued...

2013.08.24[土] 揚輝荘と不等辺三角形(1)

少し前、ご当地本として私の周りで少々話題になった(世間では爆発的に
話題だったけど)『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹著』

私はハルキストではないので、彼の作品は数える程しか読んでいないけど
名古屋が舞台になっていると聞き、とりあえずこれは読んでおくべきかな、
ということで夏になる少し前に読みました。

確かに名古屋が舞台ではあるけど、名古屋じゃなくても良かったんじゃ…。
東京の大学へ行くか地元の大学に行くかという選択肢を作るには、地理的に
名古屋がベストなのかなぁ…という印象でした。名古屋が舞台と言われて
物語を読んでも、その中に名古屋の絵が浮かんでこない。(笑)

実はその少し前、やはり地元の『揚輝荘』がモデルになっている小説があると
教えて頂いていた『不等辺三角形 内田康夫著』を読んでいたのでした。
物語の中の揚輝荘は「陽奇荘」と文字が変わっていたものの、住所などは
実にそのままの町名があちらこちらで使われていて、リアリティ満載。
フィクションとは言いながら、かなり楽しめました。


聴松閣01

揚輝荘は、北園と南園とに別れていますが、長らく改修工事中だった南園の
『聴松閣』がいよいよ月末から一般公開されることになり、皆さまより一足お先に
顔パスで(冗談です)見学に行ってきました。

上の写真は2010年11月24日、改修中の聴松閣。
この頃はコンデジしか持っていなかったので画像がちょっと粗めです。
当時は工事中のため建物の中には入れず、外観だけの見学。
案内して下さった方が「河村市長が予算を削るから予算が足りなくなって
工事が途中でストップしちゃった。市長なんかキライ。」
と言っていたのが懐かしいです。(笑)
名古屋市はお金がないんだから、困っている市民の福祉が優先だし、仕方が
ないでしょ、とゆるく内心思ったものの、人生の大先輩にそんな事を言える
わけもなく、フフッと愛想笑い。
ボランティアの皆さん、本当に揚輝荘が大好きなんです。
言っているご本人たちも税金の使い方は十分理解していると思うのですが
やはり予算が削られるとなると、ガッカリだったみたい。


揚輝荘02

そして、3年以上の月日をかけてようやく新しくなった聴松閣。
うわ~。壁の色が!
まるで違う様相になっていました。

To be continued...

2013.08.19[月] 茶の医薬史 -中国と日本

茶の医薬史 -中国と日本


-『神農本草経』には「神農が一日で72の毒にあたるも茶で解いた」と書かれて
いると、多くの本に書かれている。 <中略> ところが、どうしても見つ
からない。探し方が足りないのではないかと繰り返し探したが、それでもない。-

こうして、岩間眞知子先生の「本草(薬)書の研究が始まった」とあった。
(茶の医薬史―中国と日本 岩間眞知子著)

岡倉天心の『茶の本』に「茶は薬として始まった "Tea began as a medicine"」
という言葉があるように、お茶は薬から始まったと言われて久しいが、お茶は
その長い歴史の中で医薬の面ではどのような存在だったのか、本書はその膨大な
書物や資料から「茶」についての説明をピックアップしてまとめた医薬史である。

最初に、随、唐、宋、金・元、明、清代と中国の歴代書物が時代別に並べてあり、
当然と言えば当然なのだけど漢字のオンパレード。
見たことのある物に初めて見る書物。
とにかく膨大な資料で、読んで頭に入れようと思っても、画数の多い漢字の羅列を
見るだけで目がかすむ…。(^^;
私の知識レベルでは、近代史の辺りまで来てようやく「あ、この人知ってる。
この話、聞いたことある!」と辿り着き、楽しくスムーズに読めるようになるまで
なかなかハードルが高い。(笑)

特に医学についてはまったくの門外漢なので、所謂「東洋医学(中国伝統医学、
本草学なども)」と言われることが書かれてあっても、イメージがピンとこない。
そう思いつつ読み進めていくうちに、個人的にとても興味深い内容があった。


「茶」という漢字は唐代に誕生したということはまず間違いがないだろうと
言われているが、それ以前は、お茶を表す時は「荼」という文字を使っていた。

2007年『中国茶アドバイザー/インストラクター』の講座の中で、この「荼」と
言う文字の日本語読みでかなりもめたことがある。
「タ」か「ト」かという、正直な話、訛って発音すればどちらとも受け止め
られるような細かいことなのだが、試験に出るかもしれないとなるとそうは
いかない、らしい。(笑)
個人的には意味が通じればどちらでも良い気がするんですけど、日本で著名な
先生方の著書でも両方の読み方があって、長年の疑問だったわけです。


そして今回、この本を読んでその答えが少し見えた気がした。

例えば
-(ここから引用)『時珍曰く、楊慎の『丹鉛録』に云う、「茶は古くは
荼の字で、音はトであった。 <中略> 漢代に始めて荼陵の荼をト音から
タ音に転じた…』(ここまで引用)-とある。
もともとニガナを意味する荼を、茶に当てていたものを、漢代にタと発音する
ようになって、茶を意味するようになったのではないか、という推測である。
確かに「ト」よりは「タ」の方が「チャ」や「ティー(テ)」に近い音に感じる。

日本編でも同様に、平安時代末の1100年頃に編纂された漢和辞典『類聚名義抄』
に、音はトとタ、またはチャとするとあると言う。

まだまだ紹介したい箇所はたくさんあるものの、あまりにも長くなってしまう
ということと、専門的な話になってしまうので、ご興味のある方はぜひご自身
でお読みになって下さい。

本草に関する中国と日本の膨大な古い資料の中から、特に「茶(荼)」に関する
箇所を拾い出しそれを要約されるという、費やした時間とその労力を考えると
気が遠くなるような気がします。


最後に岩間先生の言葉から。

-「研究は古びる、誰かが追いついて凌いでしまうから」ある先輩に言われた。
<中略> しかし今回、陶弘景の言葉に出会って、真実に裏打ちされた学問と
いうものは1500年を経ても古びず、ゆるぐものではないことを教えられた。
学問とは何かを論じることなど私にはできないが、信頼のできる資料を裏付け
として、真実に迫りたいと思った。-

たくさんのことを学ばせていただき、感謝です。

2013.08.16[金] ほたるの茶園から

八女のべにふううき

お店には売るほどお茶はあるのだけど、お茶がお茶を呼ぶようで、緑茶、紅茶
種類を問わず、しばしばお茶を頂いたりします。

福岡の八女のお茶で「べにふうき(紅富貴)」。
八女茶と言えば「玉露」と思ってしまうのですが、「ほたるが舞う茶園で
農薬を使わずに栽培したべにふうき」ということで送って下さったもの。
「ほたるが舞う茶園」ってなんて素敵な響きでしょう。

実は私、日本でホタルにお目にかかったことがありません。
な、なんと、2年ほど前に訪問したネパールの茶園で人生初ホタル。(笑)
なんて寂しい人生なの…。(笑)


お茶の淹れ方を読むと「熱湯で5分ほど」とありました。
緑茶(というか煎茶)は、湯の温度80℃くらいで1分ほど?というイメージ
だったのですが、これはどうも違うみたい。

「べにふうき」はもともと紅茶用の品種なので、紅茶を作った方が普通に
美味しくなると思ったりするのですが、数年前、このべにふうきに多く
含まれる「メチル化カテキン」が花粉症などのアレルギーに効果があると
言われるようになってから、緑茶としてその名前が有名になってしまい
ました。
紅茶も緑茶も同じだろうと思う方もあるかもしれませんね。
でも、違うのです。

青茶や紅茶を作る際の発酵という過程の段階で、メチル化カテキンの
成分が減少してしまうらしいのです。

つまり
メチル化カテキンを体内に取り入れるためには「緑茶が良い」という
結論になるのです。

余談ですが、凍頂烏龍茶は青茶でもメチル化カテキンが多いと言われるのは
なぜでしょう?素朴な疑問です。


緑茶のべにふうきは、確かに「カテキンが多い」という味わいで、結構な
渋味を感じますが、想像していたようなクセのある味わいではありません
でした。
個人的には、この渋味がもう少し柔らかくなるともっと良いなぁ…。

素材としてはなかなか美味しいお茶ができそうなので、この茶葉で作った
和紅茶を一度飲んでみたいと思います。

花粉症対策 VS 美味しさの追求。
悩ましい選択かもしれません。

P.S. 次回は、茶湯の色が解りやすいように白磁系の湯飲みで写真を
   撮りたいと思います。今回は手元にこれしかなかったので…。(^^;

2013.08.12[月] 衣替え

梅雨が明けたら台風の季節が来る前に。

そんな理由で、季節はずれではありますが、テントの貼り替えをしました。
「風雪に晒され十数年。よくぞ耐えてくれました。」と思わず演歌調の
セリフが似合うほど色褪せてしまったテント。

お客様に「もうテントが随分くたびれてしまっているので」と臨時休業の説明を
すると「テント?」という声もあって思わず苦笑い。
気が付かないかもしれませんが、雨の日に濡れずに傘を畳むことができるのは
すべて頭上のテントのおかげなのです…と思わず説明したくなる気持ちを
抑え(笑)、どんな舞台でも黒子というのは目立たず出しゃばらず、粛々と
自分の仕事をこなしてくれるんだなぁ、としみじみ。

ああ、もう本当に演歌の世界です。(笑)


テント貼り替え01

こうして見ると、色褪せている部分と本来の生地の色の違いがよく解ります。
テントのフレームがしっかりしているため、かなりの重量があって、2人では
作業が無理ということで、3人体制。
この猛暑の中、嫌な顔もせず一生懸命作業をしていただき、本当に感謝です。
私なんて見ているだけなのに暑さで頭がボーッっと。まあボーッとしている
のはいつものことだけど。(笑)



テント貼り替え02

新しいテントは、色もデザインも新しく生まれ変わりました。
以前のテントにあった「中国茶」という文字をなくし、ロゴと店名だけに。
ジイヤ先生は「ますます何屋かわからんくなったかもな」と一言。

逆に言えば、今までは「中国茶」という文字が足かせになって、他に良い物に
出逢っても「これは中国茶の関係とは違うから」と取り扱いを見送っていた
ものがありました。
これからはもっと自由に新しいことにチャレンジしたり、新しい物を取り入れる
ことができるようになる…はず。

何かを新しくするということは、古い服を脱ぎ捨てて新しい服に着替えるときの
ような、ちょっとワクワクした感じ。

ああ
そう言えば秋に向けて更新予定の、ガイドブック各社さんから内容確認電話が
何件か入っていたけど、外観写真の差し替えをお願いしなくちゃ~。

2013.08.07[水] 男にとって大切じゃなくて、女にとって大切なこと

サンダル


某企業さんの「文化セミナー」をジイヤ先生が担当させて頂くことになり
お茶淹れ担当として同行してきました。

今回のセミナーは、参加者が自分たちでお茶を淹れるという体験学習ではなく
お茶は全てこちらで淹れて、参加者は試飲をつつ講演を聞くというスタイル。
一種類3煎くらいずつお茶を淹れて、皆さんにお配りするので、コマネズミの
ようにクルクル動かなければなりません。

初めての会場の場合は下見をさせていただくことが多いのですが、これは
水回りの場所と自分の立ち位置を確認するため。どんな茶道具を用意するか
道具の選択するため、というのが大きな理由です。

そしてもう一つ、私にとっては大きな意味があります。

基本スタンスとして、仕事の時は動きやすいよう靴のヒールは低く、胸元の
広く開いた服は着ない、など自分の中の約束事があります。それでも会場に
よっては、あまり実務的ではなく女性としてのエレガンスさが必要だと
思われる時もあります。

今回のセミナーで出かける直前まで悩んだのが、前髪と靴。(笑)

前日からの激しい雨のため、結んだ髪の毛もボサボサ。前髪をヘアピンで
止めた方が良いか、そのまま下ろしたままでも良いか。

ジイヤ先生に「どっちが良いですかね~」と前髪について聞いたら、見向き
もせず「どっちでもいいんじゃない」とそっけない答え。

「ちゃんと見て答えて下さい!大事なことなんですからっ」と私。
「何をやってもお似合いですから、どちらでもいいんじゃないですか」と
面倒くさそうに答えるジイヤ先生。

『あのね、中学生の時から、前髪は女にとって命なんだからね!』とは
さすがに声に出していうことはできず「もういいです…」
(内心はフンッ:笑)


そして、靴。

つまずいて転ばないようにペタンコ靴にするか、足をキレイに見せる
ためにヒールにするか。(ミニスカートを穿くわけじゃないけど)

最初はフラットシューズで出かける予定だったけど、通勤途中で降り出した
朝からの激しい雨のため、靴もビショビショ。念のために持ってきておいた
サンダルを長いこと見つめて
「今日はサンダル、女性らしく見えるし、夏だしね」。

前髪や靴の事なんて、悩まないんでしょうね、男の人は。
結構重要事項なんだけどな、これ。

プロフィール

ロ・ヴー

Author:ロ・ヴー
<ロ・ヴーの風景>
中国茶や日々の出来事、旅の思い出などを綴っています

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