SCENERY

その壁がなくなれば、世界がもっと広がります 

2015.01.26[月] キレイなお姉さん

ロマンス・オブ・ティー


完全に空目です、ハイ。
「美しいお姉さん」ではなく「美味しいお茶を入れてくれるお姉さん」
でした。(笑)

キャッチの右三分の一、自分に都合の良い所だけを切り取って、しかも
誤字脱字の文字変換。
人間の目ってなんて自分に都合良く出来ているのでしょう!?
修正レベルは Photoshop なんかに負けていません。(笑)

そろそろバレンタインも近くなってきたので、ギフトの特集をチェックしていたところ、
少し古い女性誌に載っていた「○○に贈りたいギフト」の中の1ページ。

美しいお姉さんに贈りたい

  ではなくて

美味しいお茶を入れてくれるお姉さん。

まあ、私としてはどちらでも良いんですけどね。
どっちのセリフを言われても、ポイントは高い。(*^-^*)

この『ロマンス・オブ・ティー』は私も持っているんだけど、カバーの下の表紙も
なかなかステキなんです。
タイトルも女性ゴコロをくすぐられます。
でも恋愛小説じゃないんですよね~。(笑)

そして、こんなカップで飲むお茶は、オリエンタルビューティーとも呼ばれる
台湾の烏龍茶「東方美人」しかないっ!

そんな妄想を楽しみながら、やっぱり「美しいお姉さん」と言われた方がいいなぁ…
なんて。
お姉さんといわれる歳は疾うの昔に越えているんですけどね。(笑)

By サ

2014.11.04[火] 一杯の紅茶の世界史

一杯の紅茶の世界史

読書の秋、というからではないけれど。
文化の日だから、と言うわけでもないけど。

お久しぶりにお茶関連本の話題です。

『一杯の紅茶の世界史  磯淵猛著』
紅茶好きな方や、中国茶インストラクターや茶藝師などの資格を持っている
人たちは「とっくの昔に読んでいるよ」と言うかもしれません。

著者の磯淵先生は、周りの紅茶好きさんから絶大な支持をされてたという理由も
あって、あまのじゃくな私は、何となくスルーしてしまっていた一冊。

中国茶と比べてヨーロッパに伝わったお茶の歴史は浅いのだけど、
トワイニングやリプトン社の話、ティーバッグの誕生やアイスティー、レモン
ティーの誕生についてなど、紅茶ならではの話題が興味深く、楽しめました。

漠然と「多分知っている」ことが整理整頓できたようなスッキリとした気分です。
(気持ちだけだと思うけど)

「たまには紅茶でも」と思った時に軽く読める一冊。

中国茶インストラクター講座を2015年1月から開講する予定で、テキストの見直しを
これからするところなのだけど、紅茶のページをもう少し増やしてみようかしら?

なんてちょっとだけ思ったりして。


By.サ

2013.11.17[日] 思い出の一冊

レ・ミゼラブル


この2週間ほど、未だかつてないほどの忙しさで、気が付いたら2週間が
過ぎていたいたような感じ。

読書もブログもSNSも、すっかりご無沙汰していたのだけど、ようやくちょっと
読書でもしてみようかと思えるくらいに気持ちが落ち着いてきたみたい。


子供の頃に読んだ本で、ずっと心に残る一冊が誰にもきっとあるはず。
私の場合は、小学校の3年生か4年生の時に読んだ児童文学書の「ああ無情」。
所謂、『レ・ミゼラブル(Les Miserables) ヴィクトル・ユーゴー著』のことだけど
私が読んだ本では「ヴィクトル・ユゴー」だったので、ユーゴーと言われても
やっぱりユゴーと言った方がしっくりきます。

大人になってミュージカルや映画なんかも見て「この話ってフランス革命の
物語だっけ?」と、子供の頃に本で読んだ時のような感動がない。
私にとってこの物語は、フランス革命ではなく「ジャン・ヴァルジャンという
男性と彼の人生を変えたミリエル司教の物語」として強く記憶に残ったの
でした。

1本のパンを盗んだだけで19年間も監獄生活を強いられたというのも、
とても可哀想だと思ったのだけど、優しく迎えてくれた司教を裏切り、銀の
食器を盗み出すジャン・ヴァルジャン。
この下りを読んだ時、何という人でなしの嫌なやつなんだと怒りを覚えたの
でした。その後、憲兵に捕らえられたヴァルジャンに対して「これは盗まれた
ものではありません。私が彼にあげたのです。この銀の燭台もあげると言った
のにあなたはなぜ持って行かなかったのですか」という言葉をかけた箇所を
読んだ時は、涙が止まりませんでした。
何度も何度も繰り返し読んでいたはずなのに、成長するとともにすっかり
心の片隅に追いやられていたこと。

自分が大切にしている物を盗られてなお、これもどうぞ、と言うことが
果たしてできるのかどうか。
いつか司教様のような人になりたいと思ってはみるものの、今のところ
私には無理だ。


銀の燭台を差し出せないにしても、せめて、どうして相手が銀の食器を盗ま
なければならなかったのか、ということを聞くことができるような人に
なりたいと思う。

大人用の本はさすがに子供用とは異なり、厚みを見るだけで怖じ気づいて
しまうけど、落ち着いたらちゃんと読んでみようかな。

ミリエル司教が心の中から消えてしまわないように。

2013.08.31[土] 揚輝荘と不等辺三角形(4)

揚輝荘
2010年11月北園にて。熱田神宮の信長塀を模して作られた塀。


内田康男と聞いて、最初はどんな小説?と思ったのですが、フリーの
ルポライター浅見光彦が次々と難事件を解決するシリーズの推理小説だったん
ですね。中村俊介さんや野際陽子さんが出演しているテレビの2時間ドラマなど
にもなっている、有名な小説家だったのに作家の名前を知らなかったとは…。
お恥ずかしい限りです。(汗


話を振り出しに戻すと『不等辺三角形』は、揚輝荘をモデルにした「陽奇荘」
を取り巻く人々でストーリーが展開される推理小説です。
村上春樹さんの「色彩を持たない…」との一番大きな違いは、舞台となって
いる場所が限りなく本物に近い、ということ。
物語を読み進めるに従い、現実と物語の境界線が解らなくなってしまうほどに。

氏が揚輝荘を取材された時、南園はまだ閉鎖されており、物語は北園を中心に
進められます。もし、南園がすでに開園されていたら…。
話の中に出てくる陽奇荘は、揚輝荘を知っている人間にとってはその光景が
目の前に広がり、自分が登場人物の一人になったような気さえします。

ここだけの話、小説を読み終えた後、事件の謎を解く鍵となる場所が本当に
あるのか知りたくて、探しに行ったのです。(笑)

ところが
揚輝荘のオープンは09:30。オープン時間を待ってから入園してじっくり
見ていると仕事に支障が…。
散歩程度なら大丈夫でも、事件を解決(小説では解決されていますが)する
場所を見つけるとなると、時間が足りない。(笑)

とりあえず関係のありそうな場所をパシャパシャと何枚か。
もちろん事件を解く鍵の確信には迫れず。(^^;


揚輝荘

豊彦稲荷。


揚輝荘

白雲橋の方面から見た煎茶席、三賞亭。



揚輝荘

そして事件の鍵を握る『伴華楼(ばんがろう)』。

少しだけ揚輝荘のおさらいです。
1)聴松閣は修復によって壁の色が白っぽい色からベンガラ壁と呼ばれる赤い壁に
  塗り替えられましたが、これは修復の際、上の壁をはつったら、下から褪色
  しているものの、赤い色をした壁が出てきたため、オリジナルであっただろう
  というベンガラ色に変更されました。

2)揚輝荘の名前の由来は、陶淵明の漢詩の一部から取ったと言われています。
  「春水満四澤、夏雲多奇峰、秋月揚明輝、冬嶺秀孤松」


今また小説を再読しながら、自分の中では未だ解決していない事件の鍵を
確認したくてウズウズ。

読んでから行くか、行ってから読むか。
皆さまも名探偵への仲間入り、いかがですか。

2013.08.30[金] 揚輝荘と不等辺三角形(3)

揚輝荘

聴松閣の1階から地下へ降りていくと、最初に目に付く地下トンネル。
戦時中は防空壕の役目を果たし、多くの人の命を救ったとも言われています。
ここから先は立入禁止。聴松閣のある南園と伴華楼のある北園を結ぶ通路
だと思うのですが、階段を下りることは許されず。残念無念。


揚輝荘

視線を移すと長年「ある」という話だけで見ることが許されなかった、アジア
からの留学生が描いた壁画が一面に広がります。
少し傷みがあるみたいだけど、これもいずれ修復するのかな。


揚輝荘

ライトでさえも芸術的。



揚輝荘

その奧には旧舞踏場と言われるホール。
小さな半円状の舞台と舞台用の照明もあります。
当時の緞帳はビロード式のインド模様だったそうですが、さすがに傷んでしまって
いるため、当時の白黒写真を元に研究者とメーカーとの協力で現在のような緞帳と
なったそうです。



揚輝荘

ヒマラヤのエッチングガラスが填め込まれた壁面。
インドを旅行した時の思い出の風景だとか。
ライトの映り込みがなければ、きれいなエッチングガラスをご覧頂けるのですが…。



揚輝荘

再び1階に戻り、これは昭和14年頃の揚輝荘のジオラマ。
近くてジオラマを見ていたオールドボーイが、はしゃいだ声で奥様と思われる
女性に説明をしていました。
「ここ、ここ。ここら辺で子どもの頃、よく遊んだんだよ。懐かしいなぁ。」

思わず心の中で
「オジサマ『こっそり忍び込んで』という修飾語が抜けています」と。(笑)
近所のオジサマに「子どもの頃によく揚輝荘に忍び込んで遊んだんだよ。そこを
次郎左衛門さんに見つかって怒られたもんだ」という話を聞いたことがあるのです。
だから「あらま、ここにも昔のワルガキが…」と。(笑)

揚輝荘はオールドボーイたちにとって、特別な場所だったのかもしれません。

2013.08.27[火] 揚輝荘と不等辺三角形(2)

揚輝荘

まずは昭和14年頃の揚輝荘の見取り図を。
現在はマンションなどが建てられている場所にはテニスコートなどがあった
ようです。道路の様子も今とは少し異なって見えます。
1万坪あったということですが、坪100万円として…、ああ、こんな下品な
ことを考えてはいけない…。(A^_^;


揚輝荘

そして現在の揚輝荘。
お店からどれくらい近いのかが解るよう、マークを入れてみました。(笑)
東西の並びには4軒の建物があります。(お店は揚輝荘側から3軒目)
季節の良い頃の揚輝荘は、お散歩コースにピッタリ。
お店から揚輝荘や日泰寺へは徒歩で2分くらいですが、どちらもそこから先に
時間がかかる。(笑)


今回、聴松閣を見学した際に初めて知ったことが一つ。
伊藤家は松坂屋(いとう呉服店)の創業者として名古屋では良く知られて
いますが、1881年(明治14年)に名古屋で最初の私立銀行、伊藤銀行を
設立されていたのでした。
「伊藤銀行?」と思ったのですが、これが以前は名古屋で最も勢力を持って
いた都市銀行「東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)」の前身だったのです。

思わず「ギョギョ!」今年なら「じぇじぇじぇ!」とでも言いましょうか。
名古屋人の「世帯に1つくらいは必ず」と言っていいほど、家族の誰かが
東海銀行の口座を持っていたというくらいの銀行です。


と前置きはこれくらいにして。


揚輝荘

聴松閣を入ってすぐに旧食堂。これからは喫茶室として使用するみたい。


揚輝荘

暖炉には古い瓦が埋め込んであったり。しかもこれらの瓦の出所って…。


揚輝荘

いとうの文字。この建物の中には階段や手すりなど至るところに「名栗」と
呼ばれる美しい表面のはつりが施してあります。
現在は美しい「名栗」のできる職人さんが減りつつあるとか。


揚輝荘

1階は他に旧居間や旧サンルームがあります。



揚輝荘

2階には応接室や寝室、書斎などがあったようですが、現在は全て
展示室になっています。

1階、2階と見たら、次はお楽しみの地下へ。


To be continued...

2013.08.24[土] 揚輝荘と不等辺三角形(1)

少し前、ご当地本として私の周りで少々話題になった(世間では爆発的に
話題だったけど)『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹著』

私はハルキストではないので、彼の作品は数える程しか読んでいないけど
名古屋が舞台になっていると聞き、とりあえずこれは読んでおくべきかな、
ということで夏になる少し前に読みました。

確かに名古屋が舞台ではあるけど、名古屋じゃなくても良かったんじゃ…。
東京の大学へ行くか地元の大学に行くかという選択肢を作るには、地理的に
名古屋がベストなのかなぁ…という印象でした。名古屋が舞台と言われて
物語を読んでも、その中に名古屋の絵が浮かんでこない。(笑)

実はその少し前、やはり地元の『揚輝荘』がモデルになっている小説があると
教えて頂いていた『不等辺三角形 内田康夫著』を読んでいたのでした。
物語の中の揚輝荘は「陽奇荘」と文字が変わっていたものの、住所などは
実にそのままの町名があちらこちらで使われていて、リアリティ満載。
フィクションとは言いながら、かなり楽しめました。


聴松閣01

揚輝荘は、北園と南園とに別れていますが、長らく改修工事中だった南園の
『聴松閣』がいよいよ月末から一般公開されることになり、皆さまより一足お先に
顔パスで(冗談です)見学に行ってきました。

上の写真は2010年11月24日、改修中の聴松閣。
この頃はコンデジしか持っていなかったので画像がちょっと粗めです。
当時は工事中のため建物の中には入れず、外観だけの見学。
案内して下さった方が「河村市長が予算を削るから予算が足りなくなって
工事が途中でストップしちゃった。市長なんかキライ。」
と言っていたのが懐かしいです。(笑)
名古屋市はお金がないんだから、困っている市民の福祉が優先だし、仕方が
ないでしょ、とゆるく内心思ったものの、人生の大先輩にそんな事を言える
わけもなく、フフッと愛想笑い。
ボランティアの皆さん、本当に揚輝荘が大好きなんです。
言っているご本人たちも税金の使い方は十分理解していると思うのですが
やはり予算が削られるとなると、ガッカリだったみたい。


揚輝荘02

そして、3年以上の月日をかけてようやく新しくなった聴松閣。
うわ~。壁の色が!
まるで違う様相になっていました。

To be continued...

2013.08.19[月] 茶の医薬史 -中国と日本

茶の医薬史 -中国と日本


-『神農本草経』には「神農が一日で72の毒にあたるも茶で解いた」と書かれて
いると、多くの本に書かれている。 <中略> ところが、どうしても見つ
からない。探し方が足りないのではないかと繰り返し探したが、それでもない。-

こうして、岩間眞知子先生の「本草(薬)書の研究が始まった」とあった。
(茶の医薬史―中国と日本 岩間眞知子著)

岡倉天心の『茶の本』に「茶は薬として始まった "Tea began as a medicine"」
という言葉があるように、お茶は薬から始まったと言われて久しいが、お茶は
その長い歴史の中で医薬の面ではどのような存在だったのか、本書はその膨大な
書物や資料から「茶」についての説明をピックアップしてまとめた医薬史である。

最初に、随、唐、宋、金・元、明、清代と中国の歴代書物が時代別に並べてあり、
当然と言えば当然なのだけど漢字のオンパレード。
見たことのある物に初めて見る書物。
とにかく膨大な資料で、読んで頭に入れようと思っても、画数の多い漢字の羅列を
見るだけで目がかすむ…。(^^;
私の知識レベルでは、近代史の辺りまで来てようやく「あ、この人知ってる。
この話、聞いたことある!」と辿り着き、楽しくスムーズに読めるようになるまで
なかなかハードルが高い。(笑)

特に医学についてはまったくの門外漢なので、所謂「東洋医学(中国伝統医学、
本草学なども)」と言われることが書かれてあっても、イメージがピンとこない。
そう思いつつ読み進めていくうちに、個人的にとても興味深い内容があった。


「茶」という漢字は唐代に誕生したということはまず間違いがないだろうと
言われているが、それ以前は、お茶を表す時は「荼」という文字を使っていた。

2007年『中国茶アドバイザー/インストラクター』の講座の中で、この「荼」と
言う文字の日本語読みでかなりもめたことがある。
「タ」か「ト」かという、正直な話、訛って発音すればどちらとも受け止め
られるような細かいことなのだが、試験に出るかもしれないとなるとそうは
いかない、らしい。(笑)
個人的には意味が通じればどちらでも良い気がするんですけど、日本で著名な
先生方の著書でも両方の読み方があって、長年の疑問だったわけです。


そして今回、この本を読んでその答えが少し見えた気がした。

例えば
-(ここから引用)『時珍曰く、楊慎の『丹鉛録』に云う、「茶は古くは
荼の字で、音はトであった。 <中略> 漢代に始めて荼陵の荼をト音から
タ音に転じた…』(ここまで引用)-とある。
もともとニガナを意味する荼を、茶に当てていたものを、漢代にタと発音する
ようになって、茶を意味するようになったのではないか、という推測である。
確かに「ト」よりは「タ」の方が「チャ」や「ティー(テ)」に近い音に感じる。

日本編でも同様に、平安時代末の1100年頃に編纂された漢和辞典『類聚名義抄』
に、音はトとタ、またはチャとするとあると言う。

まだまだ紹介したい箇所はたくさんあるものの、あまりにも長くなってしまう
ということと、専門的な話になってしまうので、ご興味のある方はぜひご自身
でお読みになって下さい。

本草に関する中国と日本の膨大な古い資料の中から、特に「茶(荼)」に関する
箇所を拾い出しそれを要約されるという、費やした時間とその労力を考えると
気が遠くなるような気がします。


最後に岩間先生の言葉から。

-「研究は古びる、誰かが追いついて凌いでしまうから」ある先輩に言われた。
<中略> しかし今回、陶弘景の言葉に出会って、真実に裏打ちされた学問と
いうものは1500年を経ても古びず、ゆるぐものではないことを教えられた。
学問とは何かを論じることなど私にはできないが、信頼のできる資料を裏付け
として、真実に迫りたいと思った。-

たくさんのことを学ばせていただき、感謝です。
プロフィール

ロ・ヴー

Author:ロ・ヴー
<ロ・ヴーの風景>
中国茶や日々の出来事、旅の思い出などを綴っています

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