ソフィテル・ダラット
再び、ダラットへ
スペシャル・エージェント
今回のツアーでお世話になったのは、旧知の香港本社の
エージェントさん。
担当してくれた女性は、昔からバリバリのキャリアウーマン系
だったけど、10年の間にすごく偉くなっていて、さすが。
訪問先が特殊なだけに、知識が豊富で力のある人にお願いを
したいと思っていただけに、ものすごく力強い。
ボスの性格も熟知しているしね。
そんな彼女もダラットについてはあまり詳しくないとのこと
だったのだけど、そもそもダラットのグループ手配で、よくぞ
ここまでやっていただきましたと感謝の念に堪えません。
手配の途中で若干の不安を覚えたのか「ガイドの他にもう一人、
うちの社員ですけど日本人の男性を張り付けます」と言って
くれました。
「ボスのツアーなので、万全を期したいので」とも。
ノイバイ空港で飛行機が遅れると解ったあと、ボスと夕食の相談。
到着が大幅に遅れるけど、レストランで夕食をするかどうか。
ボスはもちろん「夕食する」派。1日に1度はちゃんとテーブルと
イスで食事をしなくちゃならん、のだとか。
おもむろに携帯電話を取り出して、エージェントのYさんに
「3時間遅れるけど、レストラン開けて待ってて。」
エージェントさん。
担当してくれた女性は、昔からバリバリのキャリアウーマン系
だったけど、10年の間にすごく偉くなっていて、さすが。
訪問先が特殊なだけに、知識が豊富で力のある人にお願いを
したいと思っていただけに、ものすごく力強い。
ボスの性格も熟知しているしね。
そんな彼女もダラットについてはあまり詳しくないとのこと
だったのだけど、そもそもダラットのグループ手配で、よくぞ
ここまでやっていただきましたと感謝の念に堪えません。
手配の途中で若干の不安を覚えたのか「ガイドの他にもう一人、
うちの社員ですけど日本人の男性を張り付けます」と言って
くれました。
「ボスのツアーなので、万全を期したいので」とも。
ノイバイ空港で飛行機が遅れると解ったあと、ボスと夕食の相談。
到着が大幅に遅れるけど、レストランで夕食をするかどうか。
ボスはもちろん「夕食する」派。1日に1度はちゃんとテーブルと
イスで食事をしなくちゃならん、のだとか。
おもむろに携帯電話を取り出して、エージェントのYさんに
「3時間遅れるけど、レストラン開けて待ってて。」
いきなり、ハプニング
無事、帰ってまいりました。
楽しい思い出とともに。
今回の旅は、ダラット(ジリン)にある烏龍茶の茶園訪問がメイン
ではあるものの、ホーチミン市国家大学の訪問もサプライズ・イベント
として追加されることになりました。
が、大学訪問には「申請のための書類を提出するように」という
連絡があった後、書類提出をしたにも関わらず正式な時間や場所の
連絡が待てども待てども全く来ず。
エージェントからは「出発までに正式な連絡が来ますかねぇ。
sayさんたちもいるし、後は現地対応で行きますか。」なんて。
日本じゃぁ、まずありえない。
こういうのって、やっぱり社会主義国なんですよね〜。(苦笑)
出発当日、若干の不安を抱えてベトナム航空のカウンターで
チェック・イン。
しかし、ここでいきなりの一悶着。
最近の傾向として、グループでまとめてのチェック・インではなく
個人チェック・インが増えています。
ボスがトップにチェック・イン手続きをしたのだけど、なぜか
荷物のクレイムタグは「ハノイ/ホーチミン市経由ダラット」行き。
お〜い、違うよ〜。(^^;
今夜はホーチミン市内泊なのである。
荷物だけダラットまで行っちゃったら困る!
楽しい思い出とともに。
今回の旅は、ダラット(ジリン)にある烏龍茶の茶園訪問がメイン
ではあるものの、ホーチミン市国家大学の訪問もサプライズ・イベント
として追加されることになりました。
が、大学訪問には「申請のための書類を提出するように」という
連絡があった後、書類提出をしたにも関わらず正式な時間や場所の
連絡が待てども待てども全く来ず。
エージェントからは「出発までに正式な連絡が来ますかねぇ。
sayさんたちもいるし、後は現地対応で行きますか。」なんて。
日本じゃぁ、まずありえない。
こういうのって、やっぱり社会主義国なんですよね〜。(苦笑)
出発当日、若干の不安を抱えてベトナム航空のカウンターで
チェック・イン。
しかし、ここでいきなりの一悶着。
最近の傾向として、グループでまとめてのチェック・インではなく
個人チェック・インが増えています。
ボスがトップにチェック・イン手続きをしたのだけど、なぜか
荷物のクレイムタグは「ハノイ/ホーチミン市経由ダラット」行き。
お〜い、違うよ〜。(^^;
今夜はホーチミン市内泊なのである。
荷物だけダラットまで行っちゃったら困る!
ベルリン、ユーゴ、そしてベトナム(2)
社会主義国はベルリンだけで十分だったはず、なのに
なぜかユーゴスラビアにも行ってみようという話になった。
まあ、これにはいろいろ事情がありまして。
個人的にはあまり乗り気ではなかったのだけど。
現在は、スロベニアのセザナ(Sezana:セジャーナ)という
町は、今では地図にない国、ユーゴスラビアにあった。
多分、クロアチアにあるリエカ(Rijeka)という町に行こうと
したと思うのだけど、どうにも詳細が思い出せない。
ただ、内戦・独立の色が漂い始めている頃で、独特の空気が
あったような印象が残っている。
なぜかユーゴスラビアにも行ってみようという話になった。
まあ、これにはいろいろ事情がありまして。
個人的にはあまり乗り気ではなかったのだけど。
現在は、スロベニアのセザナ(Sezana:セジャーナ)という
町は、今では地図にない国、ユーゴスラビアにあった。
多分、クロアチアにあるリエカ(Rijeka)という町に行こうと
したと思うのだけど、どうにも詳細が思い出せない。
ただ、内戦・独立の色が漂い始めている頃で、独特の空気が
あったような印象が残っている。
ベルリン、ユーゴ、そしてベトナム(1)
1989年11月にベルリンの壁が崩落してから約半年後の1990年6月、
私にとって、初めて且つ無謀な(?)「社会主義国への上陸」
という行動をとっていた。
社会主義国の仕組みについては、授業で学んだ程度以上の
知識も持たず、「まあ行けばなんとかなるでしょう」的な勢いで。
ベルリンの壁が崩落して20年。
あの頃とは随分変わったのだろうなぁ〜、なんて。
ベトナム行きを前に、自分の中にある『社会主義の国』について
再確認と少しの懐かしさをこめて。
私にとって、初めて且つ無謀な(?)「社会主義国への上陸」
という行動をとっていた。
社会主義国の仕組みについては、授業で学んだ程度以上の
知識も持たず、「まあ行けばなんとかなるでしょう」的な勢いで。
ベルリンの壁が崩落して20年。
あの頃とは随分変わったのだろうなぁ〜、なんて。
ベトナム行きを前に、自分の中にある『社会主義の国』について
再確認と少しの懐かしさをこめて。












